When I’m Sixty Four (The Beatles)

厚東川

今年ポールは64になったそうだ。
僕の父親は66になった。
ここ数年、中学まで育った宇部という街に行きたがっていた。
なかなかタイミングが合わなかったのだが、夏期休暇を利用して僕は父と宇部に2人で行った。


父親にとっては50年ぶりの街。小学校を訪ね、すっかり変わった校舎を見て、近所の厚東川にかかる沖ノ旦橋に。
昔ここからよく飛び降りたことは子どもの頃によく聞かされていた。
思っていたよりも大きな川だった。
橋の側に同級生のたばこ屋が残っていて、父は同級生と50年ぶりにぎこちない会話をした。


橋を渡り、当時住んでいた場所に行く。
今は更地になっていた。
農業用水用の溜池はそのままで、畑の跡もあった。
近所をぐるっとまわると小さな神社があった。
昔はお祭りをやったそうだ。


境内の中の絵馬奉納の札に目がいった。
僕の名前の最後に「幸」という一字を足した人の名前があった。
父親の家族は地元の人ではないし親戚なども、もうここにはいない。
だから全くの偶然なのだともうが、僕はこういう偶然が大好きだ。
きっと僕はここに来るべきだったのだろう。
僕と同じ名前に「幸」の文字。
都合よく解釈しておくことにする。


僕は父親が33の時に産まれた。
僕は今まさに33歳。
僕が66になったときには何を思うのだろう。


ポールは何を思った?